旅先風信えくすとら17「ブータン」


先風信えくすとらvol.17

 


 

**桃源郷の旅は続く**


ティンプーからプナカまでは、蛇のようにくねった山道を走る3時間のドライブです。
途中の峠ド・チュラでは、超絶大パノラマのヒマラヤ山系が現れるのですが、この現われ方がもう、ダイナミックかつサプライズ!! 心が感動を認識する前に、自動的に目から涙があふれきます。ブータンのヒマラヤはどれも登頂されていないそうで、まさに神々の山というわけですね。チベットからネパールへ抜ける最中に見た青いヒマラヤも、まるで神様の住処のようだったなあ…。感傷を抜きにしても、ヒマラヤには本当に神様がいるんじゃないかという気がします。
ヒマラヤを臨むこの峠には、先代の王妃が建てたという108の仏塔があります。ヒマラヤ、仏塔、タルチョ(ブータンではルンタという)…ああ、どうしたって、チベットを思い出してしまう光景です。まるで、初恋のように懐かしい。ドチュ・ラって名前も、ドルマ・ラ(カイラス)と双子のようですし(ラが峠の意味なんですね)。
風と荒野のチベット。どの風景を思い出しても鋭利でゴツゴツしていて、煤けたように黒い肌のチベタンたちは、風景に負けないくらい逞しく見えました。それに比べるとブータンの風景は、緑が圧倒的に多く、マイルドに感じられます。チベットのあの浮遊感、隔絶された宇宙空間にでもいるような非現実感は、ブータンではあまり感じません。人も、日本の着物に似た民族衣装を着ていて、山の民というよりは農耕の民という雰囲気です。
それでも、ヒマラヤが現れた途端に、異界に降り立ったような感覚になるからやっぱりヒマラヤには神様がいるのかもしれません。

ヒマラヤと仏塔は、翼くんと岬くんばりの黄金コンビ。

プナカに近づくにつれ、山の斜面にへばりつくような小さな村と、棚田が現われ始めます。
エリさんは「わたし、棚田萌えなんだよねー」といつもに増してテンションが上がり、「あっ、今のところで車停めてください!」と興奮気味に撮影していました。
いつか棚田の本を出したいのだそうで、同じ旅路を歩んでいても、エリさんは仕事の要素がかなり濃いんだなあ、と思う瞬間です。くまなく写真を撮り、次の仕事のアイデアにつなげようと、戦車のようにアグレッシブに(笑)動いている様子は清々しいほどです。
わたしも、旅に出ると朝から晩まで歩き回り、写真を撮りまくるタイプではあるけれど、エリさんのバイタリティの前には圧倒されるばかりです。特に、シャッターを切る回数の多さには、1日200枚から300枚近い写真を撮るわたしでも傍で見ていて驚きます。おそらく、1日1000枚くらいは撮っているでしょう。
その姿を目の当たりにして、うっすらと感じる焦燥と羨望。わたしの旅は完全に道楽だけど、道楽のわりには中途半端に気合いが入っていて、必死で日記なんか書いているのも、何だか気持ち悪く思えてきます。
そして、何となくつられて棚田をカメラに収めているわたしは、何とも主体性のない…。棚田は確かに美しいし、棚田の本も面白そうだけど、わたしはそこまでの萌えを見出せていないのです。それでも、もしかしたらこの先に何か発見の光が見えるのかもしれん…と、セコい好奇心が、行動を追従させるのでした。なんというか、人がおいしく味わっているものを自分もおいしいと思えないと損だ、みたいに考えてしまうみみちい性格なんだよな…。
主体性と云えば、その場で抱く感想を即時的確に表現していくエリさんの前で、わたしは自分の言葉を捜す必要もないってのも、ちょっと問題あるような、ないような…。かと云って、反論や異論を挟みたいわけでもないからどっちつかずの複雑な気持ちになる。

…はっ、またどうでもいいことでイジイジしてしまった…。
き、気を取り直して観光しよう。

首都ティンプーに対して、プナカは冬の都と呼ばれており、冬の間は王族も僧侶たちも低地帯で温暖なプナカに生活を移すというスタイルが、1955年まで取られていました。
プナカも標高1350mと決して低地とも云えない気はしますが、それでもティンプーに比べると1000mも高度が低く(そう云えば高山病にはなっていないな、今回は)、広がる風景も日本的な農村のそれに近くなっています。
かつて冬の離宮だったプナカ・ゾンは、すぐ傍を流れるプナカ川とのコントラストが美しく、まるで絵葉書にしてくれといわんばかりの完璧なロケーションです。中に入ると、広い庭には1本の大きな菩提樹がさわやかにそよいでおり、壁画や建築は繊細なのに風格を備えています。チベットでよく見かけた、鮮やかなバター細工の供物がここでも見られ、いちいちチベットを思い出さずにいられない自分に苦笑するんですが…まあでも、似ていると云ってもそっくりの一卵性ではなく、二卵性という印象ですね。
特にプナカの穏やかな農村は、荒野の多いチベットにはまったく見られなかった風景です。しかし、その穏やかな様相とは裏腹に、民家の壁にはことごとく男根のイラストレーションが施されているのも、チベットとの大きな違いでしょう。さすがプナカは、ちんこの神様(違うって)ドゥクパ・キンレイを祀る寺「チミ・ラカン」のお膝元だけあります。玄関に大きくペイントされた男根もあれば、トイレのドアノブがさりげなく男根型になっていたりと、「ウォーリーを探せ!」ならぬ「ポー(男根)を探せ!」状態。まあ思い起こせば、その昔ブータンの紀行DVDを見た時、最も強烈に脳裏に焼きついたのがこのポーなのですから、実物を目にしたらテンションも上がるというもの(ただの変態?)。
寺には、キンレイ先生の男根を象った
「木のちんこ」と「鉄のちんこ」があり(「金のオノ銀のオノ」みたいだな)、これで頭を撫でてもらうと子宝に恵まれるそうです。もちろん撫でていただきました。ご利益あるかしら(はぁと)。

河のほとりにたたずむプナカ・ゾン。

プナカ・ゾンの巨大な玄関。

ところで、この村の子どもたちはなかなか人懐こいのですが、「ギブミー1ペン」「ギブミーチョコレート」という、どこかで何百回も聞いたようなあいさつをしてくるので、ちょっとモヤっとしてしまいました(笑)。
インドあたりで聞いても、あーはいはいとしか思わないのですが、理想郷イメージの強いブータンで聞くとなんか、見てはいけないもんを見たような、妙な気持ちになってしまうぞ…。これほどツーリズムを規制しても、この習慣はまるで何かの菌のように浸透していくものなのでしょうか。ってか、いったい誰が教えるんでしょうか。
ともあれ、「ギブミー」はツーリズムがもたらした現象に相違ありません。例えば、わたしたちはやたらと写真を撮りまくっているけれども、そして撮りたい誘惑には勝てないけれども、いつも、少しだけ躊躇いを感じてはいるのです。だってやっぱり、撮影対象を、どこか「珍しいもの」として、見世物のように捉えている部分があることは否めないから。
「ギブミー1ペン」は、そんな旅人の図々しさへの、ひとつの警告のようにも聞こえて、ビクッとしてしまうのです。

と、自省する一方で、奇妙な安堵感を覚えもするのでした。書割みたいだったブータンが、急に3次元の世界になったような感覚さえありました。
だって、外から見るブータンのパブリックイメージは、あまりにもいい子すぎるんだもの。
暮らしは清貧で、性格は穏やかで、信仰に厚く、自然環境と共存し、伝統を大切にし、誰もが幸福であると言い切る…もう、道徳の教科書の内容そのまんまではないですか!
わたしは心が汚れきっているので、そういう無菌室みたいなのは体がむずむずしてくるんですよ。
無駄にアグレッシブエネルギッシュだったり、やたら汚かったり、悪い奴らがちょろちょろ混じっていたり…って、完全に隣国のインドのことじゃねーかと苦笑しつつも、そんな欠点が懐かしく思えてくるのだから人の心とは実にワガママ極まりない。そのうち、
「ハロージャパニ」あたりがインドから輸入されてきたら、ちょっと笑ってしまいそうです。

ファンシーにすら見えてくる男根ペイント。

ニョロニョロならぬニョキニョキ。

東洋版の「落穂拾い」が描けそう。

計画都市風の景観がブータンでは異質に見えるワンデュ・ポダンを通過しつつ、暗くなった山道をティンプーへと引き返します。
ティンプーに入る手前で降車し、しばし星見タイムが設けられました。星降る、とまではいきませんがさすがに高地で大気が澄んだこの地では、天の河らしきものも見えます。
ティンプー市街に近づくにつれ、今度はポツポツと人家の光が浮かび上がってきました。それはまるで地上の星のようで、さっき見上げた星空よりも胸にしみる美しさでした。自分の国では今、電気を巡る様々な思惑が渦巻いていますが、灯りは、人が住んでいる・生きているという証であり、文明の偉大な恩恵なのだと素直に思えるのです。

ティンプーのホテルに戻って、夕食までの間、近くのみやげ物屋をひやかすことにしました。
何だかんだでなかなか完全なフリータイムは取れず、空港で1万円分両替したヌルタムが半分以上余っているのです。明後日の午前中にはもうブータンを出国するので、そろそろ帰り支度がてら買うべきものは買っておかねばなりません。「あとで買えるっしょ」と思った物に限って二度とめぐり合えなかったり、買い物する時間がなくなっていたりするのが旅の常なのです。
さて、ブータンの物価は、ここまでのところ、どうも謎というか、今いちバランスが分かりません。見た目の生活水準からすると、やけに物が高く感じられるのです。例えばですが、王様バッジは1個600円くらいする。日本と大して変わらないような感覚です。工業製品は輸入物がほとんどだから高いということなんでしょうかね(バッジもインド製とか?)。野菜なんかは安いのかもしれません。
そんなわけで、みやげものに関してはいったい何が適正価格なのか、さっぱり分からないのです。「うわーこれ安っ。バラマキ用にいっぱい買ってこー」みたいなのはあんまりないですね。ま、「うわーこれかわいい!」というのも正直あんまりないのですが(笑)、どうもブータンに洗脳されつつあるらしく、ブータンブランドに目がくらみ始めてしまい、「ここでしか買えないかも」といういじましい強迫観念に捕われた結果、あっという間に4000円近くを使い果たしました。。。
しかしこれは、同行者も悪い! エリさんは、買い物狂いのわたしもしばしば怯むほどのあっぱれな買いっぷりを発揮するのです。もちろん、仕事に活かすという意味で、半分以上は経費のようなところもあるのだろうけど、それにしたってよく買いますよ(笑)。お互いにブレーキがかからないので大変ですが、こういう人との買い物がいちばん楽しいのもまた真なりでして。ロイヤルカップル写真集を見つけたときは、2人してテンションが上がりすぎて、完全にアイドルのコンサートの物販にいるファンの子状態になっていました。でも、そんなエリさんでもさすがに男根グッズは買っておらず、わたしだけ等身大ならぬ等珍大の男根(※お守りです)を、かわいい女の子のいるレジに持って行くのは躊躇ったわ…。
ちなみにこの等珍大男根を、喋ることの9割がシモネタという友人にプレゼントしたのですが、喜ばれなかったどころか返却されそうになり、とても悲しかったです(これ神様だから!子宝に恵まれるから!と力説して無理やり受け取らせました)。

翌日はなんと、朝の6時出発! 毎日1時間ずつ出発が早くなっているのは、気のせいでしょうか…。
ティンプーも最後だから、朝はちょっと早起きしてメモリアルチョルテンまで散歩しよう、なんて話していたのに、あっけなく撃沈です。パッカー界においては高速の旅人と自負していましたが、やっぱりツアーはそんな比ではありませんね。。。
行き先は、ブータン観光のメインイベントともいうべきタクツァン僧院です。ブータンにチベット仏教を伝えたとされるグル・リンポチェを祀ったチベット仏教屈指の聖地であり、現国王も即位の前夜はここで1人、一夜を過ごされたとか。
断崖絶壁にへばりつくようにして建てられた僧院は、ガイドブックで見るだけでも十二分にその迫力が伝わってきます。それにわたしは、スリランカのシーギリヤ、ギリシャのメテオラなど、岩の上や壁面にギリギリの状態で建てられている寺院や遺跡に、ゾクゾクするほどそそられるのです。こういう“無理やり建てました”感が、わたしの変態嗜好を刺激するのでしょうか…。
タクツァン僧院は、パロの北部にあります。スタート地点の駐車場から山道をひたすら登ること、片道2時間半。それほどハードな道ではありませんが、標高が高いため(2800mまで上る)さすがに息は切れます。ただの寺院観光ではなく、立派なトレッキングです。冷涼で天気がいいので、歩くのは気持ちいいですけどね。空が鮮やかにべったりと青くて、一歩一歩が、神様の住処にでも近づいていくような感触です。
僧院は、山道を登るにつれ、少しずつ少しずつ眼前に迫ってきて、高揚感をかき立てます。第1展望台から遠目に臨むのも美しいし、僧院からほど近い第2展望台まで来ると、断崖絶壁の上に建つ僧院が、パノラミックに目に飛び込んでくるのも興奮します。
僧院から、谷を挟んでこちら側に渡してある万国旗のようなルンタが、風に激しくはためいていました。エリさんはそのさまを見て、「お経が風で飛んで行ってるよー」と感動のつぶやきを発し、気の利いたコメントをすぐに思いつかないわたしも、本当は静かに感動していました。
カイラスのドルマ・ラでも、大量のタルチョが風にさらされていたっけな…。無数の、無言の祈り。チベット文化圏のタルチョ(ルンタ)は、どうしてこんなに、ゾッとするほどスピリチュアルなんだろう。

第1展望台の喫茶店で出されたミルクティーと塩クラッカー。素朴だけど、あまりに美味しく感じられたので感動の記念撮影。

旅人の心を激しくキュンとさせる(笑)五色の旗。

谷を挟んで、タクツァン僧院が目の前に。ここからの同じようなパターンの写真を、いったい何枚撮っただろう。。。絶景を前にすると必ず「同じ写真を何枚も撮る」というお約束をやってしまうのです。

 アザーカット(笑)。

ただ、そんなスピリチュアル感も、次から次へとツーリストがやってきて、展望台付近が行列状態になってくると、どうしても半減してしまうのは否めない…。僧院の中も人でいっぱいで、まるで京都に修学旅行にでも来たような気分です。最も、こういう文句は、同じ観光客として決して口にしてはいけないことなのですがね(笑)。
僧院は岩壁の自然の造形をそのまま活かして建てられており、壁画なども岩肌に直接描かれています。色彩はチベット仏教らしくカラフルですが、やはりブータンのものは彩度を落としてあるように見えますね。ただ、何故か、マニ車だけはチベット以上に派手です。

帰りは、滑り落ちるようにさくさくと来た道を戻りました。ガイドさん、わたし、エリさんのペースがあまりにバラバラなので、ほとんど単独行動です。山道って、普通の道以上に、人のペースに合わせるのが難しいですよね…。
またもみやげものを買って時間を食い、タクツァンを出たときにはもう15時を周っていました。このあと、ソバ打ちやキラの着付け教室なるオプションが用意されていたはずなのですが、とてもそんな時間はなく、帰路の途中にアーチェリーの試合を見に行くのみとなりました。
試合といっても、草野球並みののどかさとギャラリーの少なさでした。的までが140メートルもあるのですが、これに当てられるとか、いったいどんな視力をしているんでしょうか…。
その試合に、“大臣の息子”さんが参加しており、われらのガイドさんとは知り合いらしく、「おーい、お茶でも飲んでけー」と声をかけてきました。こういうところに偶然顔見知りがいたりするのが、ブータンの社会規模のミニマムさを顕著に表しているなあと思います。大臣の息子さんは、かつて来日したことがあり、エリさんと世田谷ローカルの話題で盛り上がっていました。そう云えば、タクツァンの下山中に会った別グループのガイドさんも、日本に来たことがあるって話していたっけ。ガイドさんもそうだし、ブータンの人はけっこう日本に遊びに来ているのかしら?
さらに、エリさんたっての希望で、民族衣装キラを買いに、パロ市街のキラ屋さんへ立ち寄りました。
民族衣装と聞いて、わたしも心が動かないわけはありません。むしろできれば欲しかったのですが、あまり時間もない中で、60ドルという買い物をさくっと決断することができませんでした。いや、ほら、
この旅行のためにMILKの服とか売り払ってきたわけだし(苦笑)、民族衣装はたいがいクローゼットの中ですやすやと冬眠するのがオチだし…うーん、でも一式買ってもMILKのTシャツより安いのに、買えばよかったかな…ヘンなところでケチ根性を発揮するよな…。

パロのホテルに着くと、あらかじめ予約してあった石の風呂(ドツォ)がわれわれを待っていました。
熱々にした石で水を加熱するという石焼き芋方式の風呂で、最初は火傷しそうなほど熱々でしたが、水を加えるといい湯加減になりました。ティンプーのホテルで一度、絶叫しながら水シャワーを浴びることになった身としては、湯船に浸かる入浴は天にも上る心地です。しかも貸切。他愛のないおしゃべりに興じながら湯に浸かる、浮世のことも関係なく、ただただ安堵と気持ちよさのみが支配するひとときです。惜しむらくは、備え付けのシャワーからお湯が出ず、浴槽の湯をバケツに汲んで髪と体を洗うという、そこだけパッカーかよ!という仕儀に相なったことでしょうか…。
入浴の後は夕食。うん、まるで温泉宿に来たみたいだぞ(笑)。
今夜はエリさんと2人ではなく、ガイドさん&ドライバーさんもともに食卓を囲む、最後の晩餐です。オフということで、ゴではなく革ジャン風のジャケットやジーンズに身を包んで現れた2人は、初めて年相応の若者に見えました。まあ若いと云っても彼らは30歳くらいですが、本当はこういうラフな服装の方を好んでいるのでしょうか。自国の文化を尊重する気持ちと、海外や流行物に惹かれる気持ちと、彼らはどんなふうにバランスと取っているのでしょうね? いや、むしろどちらも楽しんでいるのかもしれませんが。わたしももし、日本で着物を着る義務があったらどうかな。けっこう喜んで着るような気もするな。
話題は、ブータンの王様から日本の天皇制に移り、そしていつの間にか、ブータンに今でも残っているという夜這いの習慣に至りました。この話になると、われわれはもちろんですが、ガイドさん&ドライバーさんのテンションが一気に上がり(笑)、この旅路でいちばんではないかというくらい、大いに盛り上がりました。シモネタが楽しいのは万国共通なんですね。ああ微笑ましい。
ドライバーさんは、ブータンの東の果てにある小さな村の出身で、そこではまだ夜這いの習慣が残っているそうです。最も、ご本人は
「僕はやったことないよ!」と全力で否定していましたが、この話題でいちばん盛り上がっていたのは、はっきり云って彼でした(笑)。
それにしても、あの立派なブータン建築の家の窓から忍び込んで夜這いを仕掛けるのはさぞ大変だろうと推察されるのですが…。娘を狙って忍び込んだ部屋がおとんの部屋だったという、完全にコントやんそれ!という話も実際にあるようです。このトピックについては、もっと深く知りたいですね☆

ところで、ガイドさん&ドライバーさんコンビは、年が近いためか本当に仲が良さそうで、時々、国語のゾンカで冗談を云い合って小学生男子のようにじゃれあっているさまは、何とも麗しいです。別に腐女子的な視点ではなくて…(いちいち云わなくていいか)。
それに、2人とも、見た目もけっこう悪くないのです。というか、ここまで別グループのガイドさんたちとも遭遇したけれど、不細工な人を見た記憶がありません。わたしは、はたと思いました。これは…女性1人でブータンに来る旅行者は、うっかり恋心を抱いてしまうのではないでしょうか。これだけ旅行中に密に接するのだし、まして1人旅となったら何かケミストリーが起こってもおかしくないのではないでしょうか!
思い起こせばこの旅行も、男女各2人でドライブという設定は、客観的に見てみると実に合コンっぽいよね、という話をエリさんともしていたのです。まあ、われわれは年増すぎてそんな雰囲気には一切なりませんでしたが(笑)。
ガイドさんによると、ブータン人男性×日本人女性という結婚は10数例あり、やはりというかなんというか、ガイド×旅行者というケースもあるらしいです。今、日本ではブータン自体が好印象で人気あるしな…これからもっと増えたりして。

明日はいよいよ、ブータンを発つ日です。いよいよ、ってか、もう!?って感じですね…。

ド・チュラからヒマラヤを臨む。

(2011年11月25日 パロ)
ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system