旅先風信えくすとら「ブータン」


先風信えくすとらvol.14

 


 

**ブータンへの長い?道のり**


某秘境系旅行会社に勤める旅友のCさんから、「今年、どこ行くんですか? 決まってないならブータンとかどうですか?」と誘い水を向けられたのは、震災の少し前だったでしょうか。
そのときは、いいですね〜興味はあるんですよ〜でもお高いんでしょう? てな感じで受け答えつつ、そうは云っても旅行なんてまだまだ先の話だよな、とあまり真面目に考えてもいませんでした。
昨今は、「行ったことのない国」ならどこでもいいという消極的なスタンスで行き先を決めていおり、「ブータンに行きたい」というよりは「ブータンでもいい」が正しく、つまり、今回はほとんど成り行きで決まった旅行先です。

とはいえ、わたしとブータンの縁が皆無なわけではありません。
何しろわたしのしょうもないブログが、
「ブータン 男根」で検索をかけて辿りつかれることがしばしばあるのです(アクセス解析がそのように申しておりました。ついでながら「ブス エミキュ」の検索でも引っかかってました…つらい現実です(;_;))。
いったい何なんだ!? と訝しんでおりましたが、何のことはない、「世界秘境全集」というDVDについて書いた記事の中に、ブータンの男根信仰について触れていたのですね。
ブータンという国の存在は、わたしの中ではとても希薄なものでした。「インド北部から国境まではアクセスできるけれど、1日200ドルものビザが必要でバックパッカーはとても行けない」ということで敷居も高く、全然呼ばれていない感じがして、そっちがその気ならこっちだって別に好きじゃないもんねー! と思って、無視(笑)していたのです。
それに近年「幸せの国」ってことでやたら持ち上げられているのを見ると、「なんだ幸せの国って。ドラクエ6かよ!」と、わたしの中に潜む小者の悪魔が毒づいてしまうんです…。ちなみに、ドラクエ6における幸せの国に行くと、ジャミラスというモンスターが現れて戦闘になります。そこでジャミラスが「おのれの欲望のままに生き しあわせの国などという甘言にやすやすまどわされるおろか者を!」などと云い放つものですから、
幸せの国という言葉にはウラがあるんだな〜ということをドラクエから学ばされるわけです。
しかし、件の映像で家の壁一面に描かれた巨根を見たとき、一気にブータンに対する親しみが湧きました。「正しい人の汚辱を人は喜ぶものだ」と誰かエラい人が言っていた気がしますが、そういう下世話な心情に起因するのでしょうか。

ほどなくして起こった震災を境に、いろんな記憶が吹っ飛んで、ブータンの旅のことはしばらくの間、さっぱり忘れ去られていました。なんかやっぱり、あの日の前と後で、記憶の感覚がおかしくなっていますよね…。
再びその話が進み始めたのは6月、Cさんと共通の友人である旅行ライターの松岡絵里さんも、ブータンに行くつもりがあるという話を耳にしてからでした。
そのとき咄嗟に「ブータンってツアー旅行しかできないし、二人だったらちょっと部屋代安くなったりするんじゃないの?」といういじましい計算が働いたんですよ(苦笑)。己は友達を旅行の頭数としか考えてないのかよと罵られそうです…。
早速、吉田夫婦とCさん、わたしというメンバーで、意志確認を兼ねた食事会が行われ、あっという間にブータン旅行は決まりました。いつもだいたい、出発の10日前くらいまで行き先が決まらないことを鑑みると、恐ろしいくらいのスピード感だな〜と驚いていたら、さらに驚くべきは、旅行は秋(10〜11月)だというのに、もう飛行機が取れないというではないですか! 世の中の人びとは、どれだけ計画的かつ無駄のない人生を送っているのでしょうか! だからわたしは未だにアパート暮らしなのでしょうか…。
10月上旬にはブータン最大の祭り「チェチュ」があるというので、願わくはそこに合わせたいところでしたが、その時期はすでに空の便がなく、インドから陸路でブータンに入るという変則的で時間のかかるルートを取らねばならず、お互いの休みの都合を考えると断念せざるをえませんでした。陸路でブータンなんて、バックパッカー的にはめちゃめちゃ魅力的なんですけどね…。

かくして旅行は、11月中旬の祝日を絡める日程で決定しました。
エリさんもわたしも、ツアーってことでだいぶ手抜きしてしまい(笑)、Cさんに丸投げかついろいろと返事を怠ってやきもきさせてしまったことを、この場を借りてお詫びいたします。
そしてこの後、旅行までの間は4カ月余りもあったわけですが、一度もエリさんに会わないどころか、旅行について言及することなく、出発の日を迎えることになります。

さて、今回はツアーということで、手配関係はCさんにすべて任せきり、自分でやったことといえば日程の決定だけでした。
すっかり大船に乗ったつもりで、無関心とさえいえるほど悠然と構えていましたが…ひとつだけ、大きな任務が課せられていました。
それはずばり、
金策です。
何しろ、滞在費が1日200ドルというベースに加え、すべてが手配旅行ということで、いつもの旅行の2〜3倍はかかる予算。安い個人旅行ですら毎年ウンウン唸っているというのに、今回は捻出できるのか…?
と、一抹の不安が頭をよぎりましたが、旅行まではあと4ヶ月半。爪に火を灯さずとも、常識的な生活の範囲で節制すれば、どうにもならない金額ではありません。
ところが、旅行の約1か月前、つまり旅行代金を全額支払う日が近づいてきた10月中旬(頭金は支払い済み)、通帳を覗いてみたらばどうしたわけか、貯金がほとんど底をついているではありませんか!
「!」とわざわざ驚く間でもなくお前のせいだろう、といわれれば100%そのとおり、己の不徳の致すところとしかいいようがないのですが、自分ではそんなに恐ろしく浪費したつもりもなかったりして…そんな自分が怖いです。
と、とりあえず次の給料日になればなんとか…と、旅行代金の残金支払い日は督促がないのをいいことに軽く1週間ほど延滞。給料日を跨いでなんとか払い込めたはいいものの、今度は毎月のクレジットカード支払いが追いつかなくなり、ついにキャッシンぐぅ(号泣)。
そんな禁じ手を使っても現金がほとんど手元に残らず、ついに大切な洋服を50着ほど売り払いました。ってか、そんなに売れるほど服があったことに驚きますよね。しかも、それでもまだ半分も売っていない状態だということが、売ってから判明いたしました。またお金に困ったら売ろう…。
そこまでしないと立ち行かなくなったのは、12月にアパートの更新という恐ろしい行事が控えていたせいもあります。これさえなければ、ここまで尋常ではない火の車具合にはならなかったのに……とい・う・か、服を買わなきゃ済むだけの話よね! テメーはマジで反省しろよ!!

そして、旅行前日はまたも日付を跨いで仕事。
朝7時に家を出たのに帰宅したのが1:30で、7時に出発ですよ。ガイドブックも空港のTSUTAYAで引っ掴んで来たようなありさまですよ。もう毎年のこのパターン、ホントにいいかげんにしたいですよ。
旅行のスケジュールをどんなに早く決めても、自分的にも会社的にもムダということが、今年はよく分かりました。ま、来年はせめて、金策には走らずに済むようにしたいけど…。

さて…
着いた(※いろいろ早送りしました)。







あれ?
ブータンってこんなに都会でしたっけ??


…すみません、ブログをご覧になっている方には、あまりにわざとらしいフリでした。
えっと、今回の旅はブータンがメインなのですが、経由便の関係で、前後にバンコクをくっつけているのです(日本⇔ブータンの直行便はないの)。それも、ブータン5日間に対してバンコク4日と、どっちがメインなんだよ! という感じです。でもこれは、1年で1週間以上休めるたった1回の機会、1日でも1秒でも長く仕事を休んで遊びたいという強い気持ちの表れ(1が5回も入る文!)。本当はブータンでまるまる9日間使いたかったけれど、何せ旅行代金の高い国、9日もいたら、さすがにキャッシングどころでは済まなかったでしょう…。
ちなみに、エリさんとは出発日を異にしているため(わたしの方がバンコク分だけ長い)、
ブータンで現地集合(!)です。

バンコクに着いたらとりあえずカオサン、という典型的なバックパッカー思考により、ダイレクトに行けるA2エアポートバスを探したら、今年の5月で終わっていることが判明しました…。
機内で穴が空くほどガイドブックを読んだわりには、間に挟まっていた追訂に書かれたその情報を完全に見落としていました。
まあ勝手知ったるバンコクだし、なんてちょっと余裕こいていたけれど、よく考えたらもう何年前の話だよ! 思い上がるなって感じです(苦笑)。もうドン・ムアン空港じゃなくて、スワンナプート空港なのよね…。
カオサンでよさげな宿をテキトーに見つけようと楽天的に考えていたため、いきなり出鼻を挫かれてしまいました。カオサンの立地上、空港からダイレクトに行けないとなると、あんまり拠点としてのメリットはないんだよなあ。かと云って、旅の初日っからいいホテルに泊まれるほどの余裕は皆無(見りゃ分かるって)。

空港でしばらく逡巡したのち、最も土地勘のあるサイアム周辺に宿を取ることにしました。
バンコク一の繁華街ではありますが、「ナショナルスタジアム」駅周辺には1泊1000円〜1500円くらいの安宿が存在するのです。以前ならこの価格帯でも決して安宿ではなかったことを思えば、金欠とはいえ、少しは大人にな…ったのかしら???
バスの代わりに、エアポートリンクとBTS(スカイトレイン)を乗り継いで、「ナショナルスタジアム」駅へ。宿を決め、荷物を置いたらもう夜の7時を回っていました。本日のエサ(夕食)を探しつつ、街に繰り出すことにします。

サイアムのあたりは、6年前とそんなに変わっていないように見えます。われらが伊勢丹も健在。
クーデターの爪跡が残るエリアは封鎖されているものの、そして、洪水の影響であちこちに土嚢が積んであるものの、汗が飛び散るような熱気、超近代的なビルの軒下でアナログそのものの屋台が並ぶ様子は記憶と同じだし、ナショナルスタジアム駅とサイアム駅を結ぶ歩道橋から見下ろす風景も、父ちゃんと見たのと同じ。
出発の少し前までは、洪水の状況次第では下手したら旅行は取りやめになるのでは? と不安を抱えつつも「まあそうなったらフトコロは助かるか…」と妙なところで安心したりもしていましたが、少なくともこの辺りは日常をしっかり取り戻しているように見えます。積み上がった土嚢は、屋台を冷やかす人々のベンチ代わりにもなっていて、のどかですらあります。
南国都市特有の、甘くねっとりした空気。一歩歩くごとに、記憶が一つずつ立ちあがって来ます。光に吸い寄せられる羽虫のようにしょっちゅうこの辺に文明のシャワーを浴びに来ていたっけ。名もない屋台で、父ちゃんと何か麺を食べたっけ。カイラスに一緒に行ったSおねいさんと、チャイナタウンを散歩したっけ。宿がかなりボロかったっけ…(笑)。

うーんしかし…久々の異国の開放感は、たまんないっすな。
スタンプラリー体質ゆえ、一度来たことのある場所にはあまり食指をそそられないけれど、二度目のバンコク、予想以上に新鮮だよ。
二度めだろうがなんだろうが、慣れぬ土地にやって来るのはいつだって、たいそう不安です。これだけは何度旅しようとも変わりません。友達がいるわけでなし、タイ語がしゃべれるわけでなし。
だけど、その無防備さ、危うさを味わいたくて、旅を求めるのだろうとも思います。日本からうんと離れた異国の土地に来て、仕事や人間関係から切り離されて、何も分からぬ子どものような状態になる。すると、心はむき立ての果物のようにぷるぷると震え出す。
毎日、労働を中心とした日常生活にどっぷり浸かっていると、心が分厚い角質層にどんどん覆われていくのは、どうしても否めません。だから、旅に出るのは、肌のピーリングに似ているかも知れないですね。たまにはその皮を剥いてやらないと、心が覆われつくして、出て来られなくなってしまいそうだから。最も、全然きれいな心の持ち主ではないから、覆われていた方がホントはいいのかも知れないけどさ(笑)。

サイアムスクエア内。てんこ盛りの土嚢(T_T)

さて、バンコクで真っ先にやるべきことは、バンコクの原宿といわれる(?)サイアムスクエアに、昔ひと目惚れした「Channel 1」という洋服のブランドが今もあるかどうかを確かめることでした。しょうもない任務ですみませんね。
今は便利な時代ですから、もちろん事前にインターネットで調べました。が、何ひとつかすりやしません。かすったと思ったら、自分のホームページだったりして…(苦笑)。
サイアムスクエア内は、記憶と同じように若者向けの小さな店が軒を連ねています。歩いていると、「この角、曲がったことある」「ここを曲がると出口だよな」と次々と脳裏に浮上してきて、件の店の位置もはっきりと思い出しました。
…しかし、そこはすでに、別の店に代わっていました。サイトが見つからなかった時点で絶望的だとは覚悟していたし、特にこういう店の変遷が激しいのは原宿あたりでも顕著だから、「やっぱりね…」なんだけど、それでも悔しいなあ…。おっさんプリントスカートは、熱帯の夢まぼろしだったのでしょうか…ああ、かわいいものはなんて儚い。そして、失われた過去を探し歩く行為はなんて切ない。確かあのとき、メインデザイナーらしきおっさんも店にいたような気がするけど、元気かなあ…。(※ここまでの話が意味不明な方は、旅先風信タイ編を読んでね☆)
夕食は、「サイアムパラゴン」(ショッピングセンター)のフードコートをさんざん冷やかしたあげく、結局その辺の屋台で名前の分からぬ麺を食べました。妙なところで節約根性がちょいちょい顔を出してしまう癖が治りません…それを何故、日本で活かせないのか自分を問い詰めたいです。それはともかく、こういうよくわからん食べものが美味かったりするからアジアは侮れないよねえ。

…ということで、しばらくブータンには辿りつけそうにありませんが、今回はこの辺で。

こういう祭壇に萌える。

(2011年11月19日 東京→バンコク)
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