旅先風信えくすとら13「ロシア」


先風信えくすとらvol.13

 


 

**邂逅、別離、逡巡、帰国**


彼女はわたしに舞い降りた天使か。
キリスト教の国だから、天使が降りて来てもおかしくないけれど…あれ? ロシア正教に天使っていたっけか??
…などと、とりとめなく頭の中でつぶやいているうちにも、タクシーは灯りもほとんど見えない郊外へとひた走っていました。
彼女曰く「うちは犬が1匹いるだけだから」…つまり一人暮らしだからいいのよ、ってことらしいですが…そういうもんか? もしこれが、東京で、逆の立場で、こんな怪しい外人を拾って帰る勇気がわたしにあるだろうか…?

センターでタクシーを拾ってから、20分ほど走ったでしょうか。
彼女――イリーナの家は、昔ながらの団地のようなフラットでした。4Fでもエレベーターはなく、ちょっと都営住宅を思わせる雰囲気です。
中に入ると、キッチン、リビング&ベッドルーム、ユニットバスというシンプルなつくりですが、東京のわたしのアパートの軽く2倍の広さはあります。
「散らかってるの」とちょっとバツが悪そうにしていたけれど、イリーナとてまさか、こんな得体の知れない生き物を拾ってくるとは1ミリも考えなかったはずだからな…。

温かい紅茶を飲ませてもらいながら、とりとめのない話をしました。
「大学で1年くらい英語を勉強したけれど普段は使わないし全然話せない」という彼女と、「いちおう何年も学校で勉強して旅でもある程度鍛えたはずなのに大して話せない」わたしの英会話はひどくぎこちないものでした。ま、そもそも会ったばかりで、国籍も年齢も違う間柄ではいきなり会話が弾むわけもなく、ましてわたしは、楽しいトークというものが下手だ!(きっぱり)
一宿一飯の恩、せめて楽しい会話で思い出に残る時間を提供したいところなのに、歯がゆい…。

それでもなんとか断片のような会話は続き、彼女は23歳で、化学製品の交易会社で働いていて、ひとり立ちしたいと切望していて、30歳くらいで結婚したい。そんなようなことが分かってきます。
ロシアでは、20歳くらいで結婚する女の子が多いらしく、「(あなたの)年で結婚していないのは、日本では普通なの?」と尋ねられて焦りました。。。えっとぉ、
普通ではないかもしれませんね(泣)。
それにしても…年を訊かれて急に恥ずかしくなりましたよ。別に隠す必要もないけれど、このときばかりは何だかバツが悪かったです。だって…いくら外国人の旅人とはいえ、30過ぎのいい大人が見知らぬ土地で言葉も分からず迷子になって、10歳も年下の女の子に助けられ、あまつさえ家にまで引き取ってもらっているというこの状況。バックパッカーの自由旅行というのは、ある程度の若さ(=バカさ)じゃないと許されない行為なのでは…と、今さら冷静になってみても遅いんだけどさ。

でも…思いもよらない場所に来て、知らない女の子と話してる、この不思議な夜。
窓の外は完全に近い闇。雨は静かに降り続いていて、やかんでお湯を沸かしている音と、飼い犬・テリックくんのパタパタ駆けまわる足音が明るい部屋を満たしている。まるで、小さなシェルターにいるみたいな気分。
確かにこれは、誉められた話ではないけれども、旅の神様がくれた贈り物かもしれないよと、調子のいい解釈をしたくなったりもして。

…と、いい感じに話を止めておきたいところですが、完全に本筋とは外れる余談をぶっこんでもよろしいでしょうか…。
寝静まる頃になってテリックくんが
わたしの腕を使ってシコシコしようと、必死で飛びついて来るようになったのはいったい何だったのでしょうか?
こ、これって、犬になつかれてるってのとはちょっと違うよーな!? どっちかっていうと、マジで襲われている感がするんだけど!? わたし、何か誘惑的なことをしましたかしらん??
イリーナに教えてもらったマジックロシア語
「ニルジヤ!」(ダメ!という意味のよう)を唱えてみますが、わたしの発音があまりにダメすぎるためか、それともわたしの腕が(犬から見て)あまりにセクシーすぎるためかテリックくんはまったくいうことを聞いてくれません。うう、お願い、寝かして(性欲の強い夫に毎夜、夜の務めを強要される妻のようだ)。

デカワンコならぬ、エロワンコ。

翌朝(死んだふりをしていたら、襲われずに済みました…)、イリーナはサラミとパンと紅茶を用意してくれて、昨日はまるで見えなかった窓の外の風景を見ながら、まったりと朝ごはんを食べました。
ロシアの紅茶って、ジャムを入れるんじゃないの? と尋ねると、それはリアルじゃないわよ、だって。「ロシアにある寿司レストランと同じ。寿司レストランには日本人のコックはいないもの」。なるほど…。
もうひとつ“なるほど”だったのは、イリーナ・スルツカヤ(フィギュア選手)と同じ名前だねと云ったら、明らかにピンと来ない様子で「フィギュアスケートはそんなにメジャーじゃないのよ」と云ってたこと。プルシェンコも知らないらしい。フィギュアって、ロシアでは意外とマイナースポーツなのでしょうか?

一緒に記念写真を撮り(三脚がこんなところで役に立つとは)、荷物をまとめ、束の間の滞在は終わりました。わたしはこの日の夜行列車でモスクワに戻るのです。
外に出てみると、なるほど、まさしくそこは郊外でした。広大な原っぱに、巨大な団地群だけがどっしりとそびえていて、それは、灰色の空にやたらとマッチしていました。
何事もなく観光していたら、おそらくこの風景を見ることはきっとなかったな…大阪に来た観光客が、N市を見ることはまずないのと同じに。だけどこれもまた、紛れもないノヴゴロドの、ロシアの風景か。
写真を撮りたい衝動に駆られましたが、何となく遠慮が勝って思いとどまりました。
ちなみに、家賃は6000ルーブル。18000円ってところでしょうか。ノヴゴロドでもセンターの方なら3倍はするそうです。日本とあんまり変わらないか、下手したら高いくらいですね。

午後から妹の家に行くというイリーナが、列車のチケットを買うまでついて来てくれることになりました。何から何まで助かります…。
町のシンボルであるクレムリンの中を通り、鉄道駅へ向かう途中、世界遺産になっている教会群が見えました。小さくて清楚な教会は、冷たい空気の中で震えるように建っていて、それはとても感動的な光景に見えました。
駅のカッサには人の列ができていて、「いつもこうなのよ。昔、ボーイフレンドに会うために週末モスクワに行っていたときも、いつも並んでた」とイリーナ。
当日券があるかどうかは分からないよ〜と脅されて(?)いたけれど、昨夜から旅の神さまが降臨しているおかげか、難なく購入できました。
行列に並んでいる間、流れる沈黙が決まり悪くて、帰国したら手紙を送りたいから住所を教えてくれる?と訊くと、少し驚きながらも笑顔でうなづいてくれました。
その笑顔を見た瞬間、涙線が決壊しそうになるなんて、いかにわたしがひねくれた性格でも、別れは等しく切ないものらしい…。

家に着いて来て怖くなかったの? と尋ねられたけれど、彼女の方こそ怖くなかったんだろうか?わたしだったら怖い。何でそんなふうに親切にできたの? わたしの方こそ知りたい。
K.マルクス通りの角でいよいよ別れることになって、泣くまいと思っていたけれど、いざ道を分かつ瞬間になるとこらえきれず、ボロボロ涙をこぼしたあげく、思わず彼女を抱きしめてしまいました。それ以外に、どうやってこの感謝してもしきれない気持ちを伝えたらいいか、分からなかったから。
普段、ウルルンなんてしゃらくせえ(←半分ヒガミ)とか云ってるわりに、いざ直面すると簡単にウルルンしてしまうんかい!と己を嘲笑いつつも、やっぱり、人の親切は強烈に身に沁みる。ありがとうは「有難う」って意味が、心の底から理解できるよ。

イリーナと別れたあとは、何事もなかったように通常の観光モードに戻りますが、ただでさえ天気が悪くて人気の少ない町を歩いていると、急激に寂しさが襲ってきます。ヴォルホフ川の鉛色の川面が何やら冷たく感じられ、さっき横目で見ながら通り過ぎた世界遺産の教会群まで急に味気なく見えてしまうのは、安易な感傷でしょうか…。
モスクワやサンクトで見たような大教会は聖ソフィア大聖堂ひとつだけで、あとは小さなかわいらしい教会がいくつも建っています。いろんなタイプの建築があって、ちょっと神戸・北野の異人館群を思い出します(ロケーションは全然違うのですが)。
これらを真面目に巡っているうちに、気温はどんどん下がり、ついに雪が降って来ました。荷物を駅で預かってもらっているぶんラクではありますが、強烈な寒さの中を歩いているだけでもなかなかの苦行。カメラやガイドブックを取り出すたびに、手指の感覚がなくなっていきます。ていうか…よく見たら
誰も歩いてないじゃん…。毎度ながらこういうとき、わたしはいったい何をやっているのかと、何かに取りつかれているのかと、呆れ半分の不思議な気持ちになります。

観光ではなく防寒のために入場料を払って教会に入ったり(小さいので長居できん…)、手袋を買うためにおみやげ屋に入ったりしましたが、日暮れに近づくにつれ、いよいよ街歩きがままならない寒さになってきたので、駅前のマクドナルドに避難しました。
町の人気のなさに比して、マクドナルドは驚くほど満員でした。田舎のマクドほど混んでいるのは万国共通か…。
ハンバーガー1個とコーヒー1杯で粘りながら、人が作り出す喧噪の中、店員に目をつけられないよう出発までひたすら日記を書いていました。

しーん…。

ロヴゴロドでいちばん美しい(といわれている)スパサ・プレオブラジェーニァ教会。

※後日談
ちなみに、彼女の出身地は、カザフスタンのセミパラチンスクという町で、当時「ヒロシマやナガサキのような場所」と説明されて、チェルノブイリくらいしか思いつかなかったわたしにはピンと来なかったのですが、後で調べると、有名な核実験場のある町でした。
949年から1989年の40年間、合計456回の核実験に使用され、120万人が被曝し、30万人ほどが放射能の後遺症を受けているそうです。
彼女も、放射能被害によって苦しんでいる一人だったのだろうか…。そのときは、何も云ってはいませんでしたし、お父さんがサンクトペテルブルグにいると云っていたので、今は家族は住んでいないのかも知れませんが。
あのとき、ぼんやりと聞いていたその町の名も、今となってはまったく人ごとではなくなってしまいました。
当時の無知を恥じるとともに、世の中には知らなければいけないことが、まだまだ、まだまだあるということを、激しく痛感します。知らなくても生きていけるだろうけれど、知っているだけではどうにもならないだろうけれど。

妖しい光に包まれるレニングラード駅。

夜行列車の中ではまた、泥のように眠りこけていました。
モスクワに到着したのは朝の6時。分かっちゃいたけど、外は真っ暗…。
外が暗いと、どうもやる気にブレーキがかかるんだよな…。ただでさえ夜行明けというのは、億劫な気持ちが倍増しがちだというのに。
ふと、モスクワ最後の1泊くらい、いいホテルに泊まってやろうか…という考えが浮かんできました。
ユースの場所は便利だったけれど、固執するほど素敵な宿ってわけでもないし(失礼)、わざわざ移動してドミに泊まりに行くというのも、あまり前向きな気分になりません。
レニングラード駅の側には、スターリン建築でも有名なヒルトン・モスクワ・レーニングツカヤがあります。ガイドブックによれば料金は6000ルーブル〜。5つ星ホテルにしてはずいぶんリーズナブルじゃない? 当然VISAカードも使えるだろうし…どうよ君、行ってみない?
いやっ、でもなあ、6000ルーブルっつったら、イリーナ嬢の1ヶ月の家賃だよ? 金をケチってノヴゴロドの夜道をさまよっていた件はどういいわけするっての?
…と葛藤をしながらも、ふらふらと吸い寄せられるように、足はヒルトンへと向かいました。
高級ホテルに足を踏み入れる躊躇に加え、スターリン建築の重々しさ、そして何よりもバックパックを引きずった己の小汚さが、無駄な緊張を掻き立てます。
「あ、あのー。いちばん安いシングルのお部屋はいくらですか?」
「9800ルーブルです」おねえさんはにこやかに云いました。
ぎょっ。お高いじゃないですか普通に…。ヒルトンのわりに安いよねなどと思っていたのはわたしの目の錯覚? それとも『●き方』の誤情報…? 確かに、他の5つ星ホテルは軒並み10000ルーブル越え、下手したら20000、30000ルーブルなんだもの。ヒルトンだけが6000なんてことありえるか? と不思議には思ったけど、やっぱそんなうまい話はないか!
ともかく、その値段で即決できるほどには、わたしはいろんな意味で器の大きな人間ではありません。すごすごと駅に引き返したものの、さてこの後どうしたものか。宿を決めるにしても次の検討をつけなければ動けないし…。

悩んだ末、時間稼ぎも兼ねて、レニングラード駅からアクセスできる「セルギエフ・ポサード」へ向かうことにしました。
イリーナの家ではシャワーを浴びなかったのでまる2日入浴していないことになり、加えて昨夜の列車内が暑く汗をかいたため、フリースのジッパーを開けるとけっこうな悪臭がしました。外気の寒さで何となく清潔を保てているような気がしていましたが…単なる思い込みだったみたい(涙)。
セルギエフ・ポサードは、レニングラード駅からエレクトリーチカ(近郊列車)に乗って1時間半のところにある町で、トロイツェ・セルギエフ大修道院という一大教会群があります。
また教会かい!という感じですが、ここのメイン教会であるウスペンスキー大聖堂は写真で見る限り、数ある玉ねぎの中でもメルヘン指数がかなり高そうなので、旅を愛する乙女としてぜひとも押さえておかねばなりません。
駅に荷物を預け、列車に乗りましたらば冷凍庫…までは行かずとも冷蔵庫並みの寒さ。なんつうか、吹きっさらしの公園のベンチで座っているのと変わらないんですが…うっう(寒すぎて嗚咽)。

セルギエフ駅前には、雪がじゃんじゃん降っているにも係わらず露店が並んでいました。品物の上に雪が積ってますが…ま、水だからあとで乾かせばOKか? しかし少なくとも紙製品は売ってはいけない環境ですね。
あまりに寒いので、用もないけどバスターミナルの建物に入ってしばし暖取り休憩。ううう外に出たくないいい。。。
駅から教会までは徒歩10分ほどです。遠目に見るとおとぎの国のメルヘン城か、はたまた宗教テーマパークとしか思えない様相ですが、そういうのこそ、わたしの大好きなテイスト!
偶然にも日曜日に当たり、教会内はミサのため多くの人でにぎわっています。チケットカウンターも運よく開いておらず、ミサのどさくさにまぎれて中に入りました。本来なら、撮影料まで取られるところを、ロシア人たちがばんばん写真を撮っているので、心置きなく撮影もできたわ。

ウスペンスキー大聖堂。なんというかわいい造形。

静かな教会もいいけれど、ミサの日はまた格別の雰囲気があります。生活の中に馴染んでいる、本来の教会の姿が見えるというのでしょうか。
それをラッキーだなと思う反面、多少気も遣います。だって信者じゃないから。敬意は持っているけれど、一緒になって祈れるほど信仰しているわけじゃないから。
ミサ真っ最中の大聖堂の中、信者たちのごったがえす熱気が外の寒さを忘れさせるほどでありながらも、犯しがたい荘厳さに満ちていて、不思議なほど純粋で静かな感情が湧きおこってきます。ただ、これがもし仏教寺院やモスクだったとしても同様の気持ちになると思うのです。
外に出れば、ウスペンスキー大聖堂の頂にそびえる明るいブルーの玉ねぎ群が、曇天をものともしない美しさで燦然とそびえています。しかもこの玉ねぎ、ブルーの上に金平糖のような金の星が散りばめられているというかわゆさ。
教会全体としてはワシリー大聖堂や血の上の救世主教会の方がインパクトがありますが、玉ねぎだけで審査するならこの青玉ねぎに軍配を上げたいですね。4つの青玉ねぎの中心に、黄金の玉ねぎが1つ君臨しているのも素晴らしいコントラスト。教会の模型を買って帰りたいくらい、そそる造形美です。
ひとしきり見学したあと、教会の隅っこにある至極簡素なカフェベーカリー(立ち食い)で、遅い朝食を取りました。紙コップのコーヒーに甘い菓子パン。教会にはこれくらい素朴な食事がよく似合います。

トロイツェ・セルギエフ大修道院。遊園地っぽい。

再びモスクワに戻った後は、いよいよロシア最後の宿を決めるという大仕事を達成せねばなりません。
いきなり5つ星を狙って撃沈したので、大人しく3つ星あたりを攻めることにしました。3つ星だって充分すぎるほど、わたしには敷居の高い宿です。
迷いに迷った末、「ブダペスト」という名の、こじんまりしていながらも格式のありそうなホテルに照準を定めました。
駅から荷物を引き取ったので、雪の中、ズルズルガラガラとバックパックを引きずらねばなりません。うう、寒い、重い…でも! この先には素敵なホテルライフが待ってるんやで!(ハアハア)

「ブダペスト」は思った以上に高級でクラシックな雰囲気を醸し出しており、やや緊張しながら(何せ身なりがひどい)門を叩きましたが、満室であっさり断られました。うぎゃ。せっかく日曜日ということで値下がりして5400ルーブルになっていたため、悔しさが倍に跳ね上がります。
やっぱりわたしには、高級ホテルなんか許されないのか? ドミがお似合いなんだよこの腐れパッカーめがってことなのだろうか?
ああしかし、今からまた宿の選別をし直すなんて! もうとっくに昼の2時を回っているのです。このまま宿探しを続けていたら、モスクワ最後の時間が砂のように失われてしまう…観光の鬼たるわたしが、そんなことで許されようか!? 雪の中、どんどん奪われる体力と体温と時間と気力…ええい、こうなったら、こうなったら…。

ばばーん





えへ、
来ちゃった☆(好きな人の家に突然やって来る萌え系女の子風)
こちらは、モスクワ随一の高級ホテル「ナツィオナーリ」でございます。創業1903年、かのレーニンや国賓たちも常泊、クレムリンのど真ん前、☆の数はもちろん5つね!
…っておい! 何を思いきったらそういうことになるんだ! ヒルトンを辞退した
(させられた)のは何だったんだ!!!
…だって、もう疲れたんだもの。早朝に列車を降りて、冷蔵庫みたいなエレクトリーチカで1時間半もかけてセルギエフ・ポザードに行って、朝の8時半から観光して、また1時間半かけてモスクワに戻ってきたの。雪の中を宿を探して歩き回ったの。体が臭いの。そう云えば、セルギエフ・ポサード駅のカッサのおばばにも怒鳴られたの。わたしのロシア語が通じないからって、キレられちゃったの。
とにかくすぐにでも、暖かい部屋に入って熱いシャワーをたらふく浴びなければもう限界だったのです。そして、進行方向上、最も近かったのがここだったってわけさ!
ちなみに、スタンダードシングル10800ルーブル。+18%のTAX(泣)もちろんカード払いね!
マトリョーシカが1000体くらい買えるよねっ!(泣)

かくして、ここまでの節約の恨み(って自分のせいだけど)を晴らすが如き暴挙によって、わたしは「ナツィオナーリ」の場違いすぎる客となったのでした。嗚呼、お願いですからいちいちマダムと呼ばないでください…。
セルギエフ・ポサードの町で、ミサの参拝客を目当てに雪の中で物乞いをする子どもたちがいたっけ。あの子にジャリ銭を渡した数時間後にこんな高級ホテルに泊まるなんて、ちょっと頭がイカレてんのかなわたし…。って、元々物乞いと高級ホテルの相関性はないんだけどさ。
ふと、誰を知ればその国を知れるのか、誰ならば体現しているのかと考えます。おそらく、一介の旅人にそれは分からないというのが答えで、物乞いだけ見てもわかるはずもないのに、物乞いに会うと何かその国の素顔を垣間見たような気になるのは、ある種の傲慢なのかもしれないですね。

さて、このホテルで最も安い(しかし日本円で3万円はする)部屋は、さして広くもなく、取り立ててゴージャスでもなく、ビューが優れているわけでも……ま、一番下ランクの部屋ってそんなもんですよね(苦笑)。
いや、高い=ゴージャスということではないんですけど(成金的発想ですまん)、なんかまあ、入った瞬間、雄叫びをあげたくなるようなすごい部屋を想像していたのよね…。
しかし、部屋よりも感動すべきポイントは他にありました。
一人で寝るにはどう考えても寂しいサイズのベッドにふんわり載った真っ白な布団。
寝転がった瞬間、
「БвЯ☆Ю&%ЙиС@§?Ё!Э」(今回はロシア文字ver.で)な、なんという天国的感触う〜〜〜!!!
弾力のある生クリームに包まれているような、体重がふんわりと吸収されるこの気持ちよさはいったい何!? 贅沢とは気持ちよさの同義語ですか?
部屋は普通だけど(←しつこい)、この布団は普通じゃない…ってか、羽毛がこんなにいいものだとは知らなんだ。わが家もいい加減、薄いくせに重い布団をやめて、安くてもいいから羽毛布団にしようかしら…。
うん、そうだ。この部屋には今日しか泊まれないけれども、家(※6畳のアパート)を少しでもホテルのように快適にしよう!(まあ、この気合いが帰国後まもなく潰えることは火を見るより明らかなのですが…)。

ふかふかすぎるベッド。

シャワーも浴び、生まれ変わったところで、最後の観光、「トレチャコフ美術館」に出かけます。
正直、美術はエルミタージュでお腹いっぱいではあるのですが、エルミタージュにはロシア絵画がありません。それらは、モスクワのトレチャコフと、サンクトのロシア美術館に収められているのです。
ロシア絵画に興味なんてあったのかって? そう云われると答えに詰まります。実際、そこまで萌えなかったのでね…。
結局、西洋絵画ベースで画風がひたすら重々しいので、心がときめかないんだよなあ。性格は暗いわたしですが、画風は明るて華やかなのがスキさ。ロシア絵画は真面目すぎる。と云いつつ、イリヤ・レーピンの絵には、人物の表情の凄まじさに痺れましたが。
ぐむぐむ(グム百貨店)の57番セルフ食堂で久々に夕食らしい夕食を取り、1番食品館で会社の手みやげを買って、ホテルに戻ります。高いホテルに泊まると、どうも帰宅が早くなるな(苦笑)。
赤の広場の夜景もこれで見納めです。やっぱりここの景色は特別で、名残惜しさを振り払うことができずに何度も振り返ってしまいました。

そして、いよいよ最終日。
ホテルの優雅な朝食ビュッフェに舌鼓を打った後は、時給に換算して卑しくホテルの部屋にへばりついていましたが、さすがに今は時間優先だろうと思い直し、しぶしぶ出かけました。
ここまで粘りきって何とか残ったルーブルを使い果たしに、向かったのは1週間ぶりのヴェル二サージュ。今度こそかわいいロシアみやげをたらふく手に入れなければと、拳を固め、リベンジ精神満々で乗り込みました。
しかし、平日のヴェル二サージュは、わたしの気合をあざ笑うかのようにがらんどうになっていました…。入り口近くの店はかろうじてオープンしていますが、あれほど広大でえんえんと軒を連ねていた商店は9割方休んでいます。なんつうか、これではみやげを買いに来たというより、廃墟にやって来たような感じだ…いや、廃墟は好きだけど、今はいいよ(涙)。
また帽子屋に絡まれてキレたりしつつも、せっかく頑張って開けている店にはちょっと感謝の気持ちもあって、あまり値切らずさくさくとみやげ物を買い集めました。マトリョーシカなんぞ役に立たんし要らんと思っていたけれど、いざロシアを去るとなると急に名残惜しくなって買ってしまった…。

泣けてくるほど人がいないヴェルニサージュ。しかし曇天の写真ばっかりだな(苦笑)。

ギリギリまで駆けずり回って慌しく空港に向かういつものパターンで、今回も旅を〆ることになりました(ヴェルニサージュ、何気に中心部から遠いんだよ…)。
空港行きメトロへの階段を下りる直前、クレムリンの雄姿を目に焼き付けながら「さようなら」と3回、故・淀川長治さん風に云いました。
さようなら。クレムリン。さようなら。モスクワ。さようなら。ロシア。
ロシア旅行は、学校のようだったよ。ロシアに着いた日、同じメトロに乗ってモスクワの地を踏んだあのときからすると、少しだけロシア語を覚えて、メトロにも乗り慣れて、最初ほど怖いイメージもなくなって。
警察に絡まれることもなかったし、レギストラーツィア(レジストレーション)の問題もなかったし、ロシアは自由に旅行できる国だったんだなあ。これはわりと、声高に云いたいね。
帰国はまるで卒業みたいな気分。でもまだ、すべては生のままの出来事。

出発直前、あれほど激しく咳き込んでいたのに、このクソ寒いロシアにいるうちに何故か収まったのが不思議です。
旅が心身の洗濯になるのだとしたらそれは、連綿と続く日常とは明らかに違う能力や知恵を使うからだろうなと思います。しなくてもいい苦労、ムダとしかいいようのない努力、そういうものが、普段使わない感覚に訴えかけてくるのでしょう。
ロシアに来る前、実はそれほど、どうしても旅に出たいという思いに突き動かされてはいませんでした。
年に一度しか取れぬまとまった休暇と、貯まったマイルをムダにしたくない気持ちの方が先行していたのです。日常に疲弊しすぎていて、正直なところ旅をめんどくさいと思う部分さえありました。
でも今、予想以上に、いやむしろ予想に反して、また旅に出ようと思っている自分がいるんだよなあ(笑)。やっぱりわたしは、今さらだけど、旅が好きだよ。

旅の終わりの、ある種神聖な気持ち。
これを日常に持ち込もうとしても、あっという間に潰えてしまうけれども。

…しっかし今回は、いつにも増して金に困った旅だったなあ。ま、最後だけスパークしてたけど…(支払いどーすんだ!?)。
何で短期旅行なのに金の心配でストレス抱えなきゃいけないの! 年間で、ほんの数枚でも服をガマンしておけば、こんなことにならないで済むのに、本当にバカとしか云いようがありません。
いつも思うんですよ、旅の終わりには。もっと旅のためにお金を使おうって。それなのに、どうしてかいつも、旅の資金を潤沢に用意できないのは何故(泣)。ら、来年は頑張ろう…。

「ナツィオナーリ」のレストランから、クレムリンを臨む。

(2010年11月21日 モスクワ→成田) 
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