旅先風信えくすとら12「ロシア」


先風信えくすとらvol.12

 


 

**サンクトペテルブルグ〜ノヴゴロド(思わぬ受難)**


寒い。。。寒いのう。。。
窓の外に目をやれば、朝っぱらからしんしんと雪が降っていますよ。。。
こんな寒い日は、こたつむりとなってみかんを食べながらお笑い番組を観たいよなあ、と思ってもそうはいかないのが旅人です。しかもここはロシア。こたつなど、どこにもありません。
そして、キジ島をあきらめ、サンクト滞在を延ばしたからには、行っておかねばならない場所があります。

エカテリーナ宮殿は、有名なエカテリーナ2世ではなく、ピョートル大帝の妃にしてロシア史上初の女帝・エカテリーナ1世が建設した宮殿。
サンクトペテルブルグ中心地から24キロ離れたツァールスコエ・セロー(皇帝の村)と呼ばれる地域にあります。
ここを見に行く理由は「琥珀の間」ただひとつ。何せ、ハイシーズンは団体でないと入れないくらい混むというので、せっかくこんな雪の中をロシアまでやって来たからには、見逃すわけにはまいりますまい。

ファーストフード店の安いボルシチをすすって、いざ出発。
まずは、サンクトのメトロ「モスコフスカヤ」駅へ、そこからマルシュルートカという、マトリョーシカと発音を間違えてしまいそうなミニバスに乗ります。アフリカや中米ではおなじみのハイエース系ミニバスです。
フロントガラスに手づくり感あふれるテープ文字で行き先が示されているのですが、例によって、まったくロシア文字が頭に入って来ません。どう見ても暗号にしか見えず、目的の地名を探すだけでもひと苦労。
ただでさえ、そのような労苦があるというのに、某ガイドブック、つうか『歩き方』の説明が分かりづれえ! ロシアの『歩き方』は丁寧に作られていて内容も充実しており、目下のわたくしの命綱となってもいるわけですが、この「ツァールスコエ・セロー」へのアクセスはもうちっと親切に書いてほしかった!

どういうことかと説明するとだね、記述にはこうあるんですよ。
「モスコフスカヤ駅下車後、改札から最も近い出口を出て中心部方向にしばらく歩くと、レーニン像が立つ広場がある。その背後のソ連風建築の前にツァールスコエ・セロー、パヴロフスク行きマルシュルートカがある。所要30分。(中略)行き先が「プーシキン」と表示されているものもあるが、それでも可。(後略)」
解読のキモは、「ツァールスコエ・セロー」と「プーシキン」が同じ場所であるという点です。それさえ分かっていれば、「プーシキン」行きのマルシュルートュカに乗るだけで済んだのです。
しかしわたしは、「パヴロフスク」行きに乗っちゃったんだよ。さらに紛らわしいことに「パヴロフスク」にも宮殿(アレクサンドル宮殿)があるから、運転手にもすっかりそっちの方に行くと思われてたわけ。
モスコフスカヤ→(プーシキン通過)→パヴロフスク→プーシキンに戻るという無駄足を踏んだため、宮殿に到着したのは宿を出てから2時間後。。。本来なら、1時間少々で行けるはずが、とんだ時間のロスでした。
いちおう『歩き方』のために弁明しておくと、件のアクセス情報のさらに下に小さなコラムがあり、
「ツァールスコエ・セローは、ソ連時代の1937年に詩人プーシキンの没後100周年を記念してプーシキンと改名された。現在の町はツァールスコエ・セローと呼ばれることもあり、またプーシキンと呼ばれることもある。」
……先にそれを云ってください!!!

まあ、道に迷いまくったおかげで、いろんな人に道を尋ねる機会が生まれ、ロシア語スキルがちょっとだけ上がったかもですけど!
ロシアの人は概していかめしい顔つきでちょっと近寄りがたい雰囲気にも係わらず、道を聞いて無視するような人は今んとこ1人もいない。こんな拙いロシア語で話しかけているにもかかわらず、みんな親切に教えてくれるし、中にはついて来てくれる人までいます。
何となく、もっと冷たいのかなーと思い込んでいたんですよね(プーチン的なイメージっていうか…)。だから余計にかもしれないけれど、そういう親切な気持ちが身にしみる。

前述のアクセス情報に載っていた「ソ連風建築」。これは非常に分かりやすい(笑)。

さて、やっとのことで辿りついた宮殿には、ロシアのお子さまたちの団体が大挙しておりました。いまは修学旅行シーズンなのでしょうか。とはいえ、さすがにオフシーズン、かなりゆったりと見物することができました。
大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見したという大広間をはじめ、とにかく目が潰れそうなほどの金色に覆われた部屋が並びます。
ロシア帝国の威風をこれでもかと吹かせる豪華さですが、それも「琥珀の間」を見た後ではすべて雑魚かと思ってしまうほど…。
ま、部屋に入った瞬間、つやつやの琥珀パネルに覆われた壁面を見て「うわーおいしそう」という低レベルな感想を抱いたわたしではありますが、実際、赤や黄色や茶色の琥珀は、飴のように鈍く輝いていて、思わずなめ回したくなるのです(下品ですまん)。「琥珀は地味。ばあさんの宝石(石じゃないけど)」という偏見は、完全に払しょくせねばなりません。ああ、うっとり…ぺろぺろ(←脳内の音)。
元々の琥珀の間は、第2次大戦でナチスドイツに持ち去られ消滅しましたが、長い復旧作業の末、2003年によみがったということです。世界で唯一の琥珀装飾の部屋。これは確かに、至宝といえるレベルでしょう。写真撮影ができないのが残念…。

宮殿における標準の部屋。

外観は、エルミタージュの双子の妹みたいです。

ロシアの室内装飾でもうひとつビビったのが、「血の上の救世主教会」です。
街の中心地にあるので初日に行こうとしたら定休日で入れず、ま、メルヘンチックな外観だけ拝んでおけばよかろう…と諦めかけていましたが、そのまま諦めていたらわたしは、自分を激しく責め苛んでいたことでしょう…。
名前と由来からは想像できない(暗殺された皇帝アレクサンドル2世を弔うために建てられた)ほどファンシーでスイーツな外観は、モスクワの玉ねぎ教会の二卵性双生児のようです。こちらもめちゃめちゃ好みだけど、正直、モスクワの玉ねぎと内観は変わらんかも…と思っていたのよね。
ところが…中に入るなり、目をひんむくほど夥しいモザイク画の洪水が押し寄せてくるではないですか! 壁という壁に、天井に、隙間もなく描かれた聖人の絵、絵、絵絵絵絵絵!
3次元のウルトラバロックにも劣らぬ変態装飾っぷりはいったい何なの!?
度肝を抜かれ、一種の恍惚状態に陥りながら、夢中で写真を撮ります。どこにレンズを向けても聖人の絵しか写らないし、おんなじような写真ばっかりだけど! いやーもう、まばゆいばかりの内装に圧倒されまくってちょっと行動がおかしくなってます。
ここが、社会主義革命後、一時はジャガイモなどの野菜倉庫として使われていたというのですから、何という気の毒な話…。ロマノフ王朝を揶揄する意味なのか
「ジャガイモの上の教会」なんて呼ばれていたらしいですよ。どっちかっていうと玉ねぎでしょう…(そういう問題ではない)。

どーん

どどーん

これまた見事においしそうなデコレーション玉ねぎ。

この教会のインパクトが強すぎて、その後に訪れたイサク大聖堂の壁画に、そこまで心を動かされないというもったいなさ…。あちらが特盛だとしたらこちらは並盛くらいでしょうか。
いや、すごいんですよ、イサクの壁画も。こちらはもっと、ルーベンスっぽい絵が似合う重厚で荘厳な雰囲気で、いかにもヨーロッパですね。これで感想終了とかひどいだろ!

こちらがイサクさん。

イサク大聖堂・展望台からの眺め。それにしても天気が悪い。。。

半ば旅人の義務的に、マリインスキー劇場にも行ってきました。手持ちの現金だけだったら絶対に無理でしたが、ここはVISAカードが使えたのです。
カード払いでもいささかためらう値段であり(いちばん安い席で2300ルーブル!)、さらにいうならわたしはバレエの知識が皆無。山岸凉子ファンでありながら『アラベスク』も『舞姫』も読んでいないという惨憺たる現状ゆえ、本場のロシアバレエを見たところで途中で入眠してしまうのがオチです。
それでも『白鳥の湖』ならなんとか楽しめるかもと思ったけれど、あいにく3日前に終わっておりました…。演目って日替わりなのね。
この日の上演は『ドン・キホーテ』。…名前は知ってますよ、名前はね。ドンキのことじゃなくてね!
そもそもバレエ版って、ドン・キホーテ&サンチョ・パンサはぜんぜん主人公じゃないんですね。全編のうちの1エピソードを膨らませており、話はいたって単純。とある村で、結婚を反対された若い男女のラブストーリーです。つっても悲劇ではなくどっちかというとコミカルな感じ。
英語のパンフレットでは、それくらいの理解しか及ばず、どこらへんが見どころなのかもよく分からないままぼんやりと舞台を追っていました(豚に真珠とはまさにこれ)。しかも、前の人の頭でぜんぜん見えないのでほとんど立ち見じゃねーか!
しかし、2幕目くらいから舞台自体にだんだん引き込まれてきてました。
踊り手たちの身体能力美と衣装美だけで充分な目の保養になります。主人公の娘キトリちゃん(プリマドンナ)の、小さくて妖精みたいなのに圧倒的な運動量。男性のダンサーが女性を支えるときの力強さ。群舞の足並みの正確さ。人の動きってこんなに美しいものなのね…。
全部で3時間もの長い舞台でしたが、終わってみれば意外とあっという間でした。こんな見方でも充分楽しめたけれど、歌舞伎と一緒で、勉強してから見ればさらに感動できたんだろうなあ…。

内装も素晴らしくゴージャスなマリインスキー劇場。

美しい群舞。よくできたミニチュアシアターのようです。

ロシアは、レジストレーションの関係で一都市につき3日の滞在までという制限があるらしく、そうは云いつつすでに1日オーバーしてはいたのですが(宿の人に指摘されたにもかかわらず、「ま、OK」と…この辺の緩さがよく分からない)、次なる場所へ移動することにしました。
モスクワに帰るだけではもったいないので、キジ島の代わりになりそうな手頃な場所はないかと探したところ、サンクトの北東に、ノヴゴロドという世界遺産のある町がありました。ぶっちゃけ、キジ島に比べたらかなりインパクトの薄い世界遺産ではありますが、サンクトからの距離はバスで約3時間半と、なかなかいい塩梅です。
もっと早くサンクトを出立するつもりが昼間の観光に時間を割きすぎてしまい(つい『文学喫茶』とか寄っちゃったのだ)、バスに乗ったのは夜7時過ぎでした。

ちなみに、サンクトのバスターミナルは中心部より南の方角、何やら街外れ感がしみじみと漂う場所にあります。地下鉄でいうと「リゴフスキー・プロスペクト」駅。寂れているというほどではないけれど、ネフスキー大通りやセンナヤ広場あたりのにぎわいを見慣れすぎたせいか、一気に都落ち感が…。
ただ、サンクトはここに限らず、例えば宿の近くやマリインスキー劇場までの道も、寂しくうらぶれた感じでちょっと怖いんですよね。外套の幽霊ならまだいいけれど(?)、暴漢が出てきたらシャレになんないですから! まあ、こういう場所は堂々と歩けば大丈夫、という根拠のない迷信を信じているわたしですがね。
バスターミナルじたいはこじんまりとしつつもきれいな建物ですが、鉄道駅に比べてローカル臭がひどい。英語など300%通じない雰囲気がありありと漂っています。ま、鉄道駅だって通じないけどさ…。
しかも、バスって荷物代取られちゃうわけー?! わたしは昔からこの、ローカルバスで荷物代を取るというシステムに、どうも納得がいかないのです。え? それはただのケチだって?

しかし、そんなのは些細なこと。本当の修羅場はここからだったのです。
基本的に、1人旅において、遅い時間に新しい町に着くというスケジュールは望ましくありません。宿が決まっていて、資金も潤沢な旅行ならまだしも、行きあたりばったりで新天地に臨む場合、例えば本日のように22:30に到着するなど、やってはいけない行動の見本のようなものです。
おいおい君、怖くないの? ってか、旅も終盤になって、何でそう行動のハードルを上げちゃうの??
何のお告げに従ったらそうなるの???
くそー、『文学喫茶』のスープが、もっと早く出て来ていれば…。何でスープ1杯に40分もかかるんだよう! いや、それとも、帽子屋で呑気に物色していたのが響いたのか…。

22:00過ぎ、ノヴゴロドに到着したわたしを待っていたのは、雨と暗闇でした。
小さな駅前通り(例えば愛媛の今治駅に似た雰囲気)は、バスの乗客が散り散りになると、あっという間に人気がなくなりました。
うっ…。と、とりあえず本日の宿を目指さねば。地図を見れば、そう分かりにくい町のつくりでもないけれど、目的のYHまでは1キロ以上。ここでタクシーを使えば済むものを、「タクシーに乗っても言葉が通じないし、めんどくさいな…。1キロなら歩けるだろう…」と判断して、さらに事態を悪化させるのが、わたしという旅人の救いがたい愚かさ。
暗いせいもあって、通りの名前が確認できない。道がかなりデコボコになっていて、雨水が小さな池のようにたまって歩きにくいうえ、バックパックの車輪もうまく回らない。 雨は静かに、しかし確実に量を増していて、買ったばかりのウールの帽子がびしょぬれになっている。やばいやばいやばい…これ、かなりやばめの展開になってるよね!?
そもそも、この地図を当てにしていてよいのだろうか? ……いや、よくない気が、すごくする。ちょっと、縮尺を甘く見ていたかもしれない。ああ、何でこう、旅慣れていない人でも犯さないような愚行をやらかす!?
今のところ、ロシアで危ない目には遭っていない。だけど、モスクワやサンクトの繁華街しか歩いていないわたしに、この夜道が危なくないかどうかの判断はできない。第一、危なくないとしても、雨と寒さで不安はいやおうなく増すばかり…。

ほとんど人も歩いていない中、向こうから、若い女の子が歩いて来るのが見えました。
わたしは、わらにもすがる思いで「プルースカヤ通りはどこですか?」と尋ねました。
幸運なことに、彼女は少しだけ英語が話せました。夜道で突然、濡れねずみの如き風体のわけのわからん外人に話しかけられて、さぞかし困惑していることでしょう。それでも、わたしがYHを探しているというと、案内役を買って出てくれました。
道はいよいよ凹凸が激しくなり、バックパックの車輪が引っかかってうまく動きません。そぼ降る雨も相変わらず。こんな道を、一人で歩き続けていたらと思うと、心底から恐怖が湧きあがって来ます。わたしにとっては、5分前に会ったばかりの彼女だけが頼り…。
YHは果たして、ガイドブックの記載の番地にありました。ところが、満員だというではないですか。正直、かなり辺鄙ともいえる通りにあるこの宿が満員ですって!? ぜんぜん人気もなさそうだけど!? 疑わしく思いつつも、そもそもここはYHなのかどうか…という疑問も湧いて来ました。、モスクワやサンクトのYHと比べると、明らかに雰囲気が違うのです。

ともかく…部屋はない、と。彼女も困り顔になっていました。
せっかく案内してもらったのに、こんな結果になるなんて、なんかバツが悪いというか申しわけないというか…。でもって、この後わたしはどうするのだ。とりあえず、高くてもホテルに行くしかないか…。
わたしは、『歩き方』に載っているホテルの場所を彼女に尋ねました。それだけ教えてもらったら、あとは自力で何とか…。
すると彼女は、意外なことを口走りました。
「わたしの家に泊まる?」
人のこと云えた義理はまったくありませんが、彼女の英語は拙く、また、内容を考えても一瞬耳を疑わざるをえませんでした。しかし、どうやらわたしの聞き間違いではなく、本当にそう云っていたのです。
この時間、この状況で、それを断る理由はありませんでした。見知らぬ人について行く勇気など、ここから再び自力でホテルに辿りつく困難に比べたら、はるかに安いものでした。いや、それ以上に「たまたまわたしから話しかけ、親切に道案内をしてくれた女の子が悪人である確率」はめちゃくちゃ低いといういじましい判断が働いたのでした。
そしてわたしは、彼女と一緒にタクシーを捕まえ、彼女のアパートへと向かうことになったのです。

(2010年11月19日 サンクトペテルブルグ→ノヴゴロド) 

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