旅先風信えくすとら1「スリランカ」


先風信えくすとら vol.1

 


 

**離陸までの長い助走**

 

アパートの部屋を出ると、外はまだ真っ暗でした。
朝4時50分。前日は送別会で、帰宅後、準備や片付けなどしていると、結局2時間しか眠れませんでした。
これから10日間家を空けるのだと思うと、カギをかける手が少し震えます。そして、家を空けることに少し不安を覚えている自分が、何だかえらく軟弱になったようで、苦笑いがこみ上げてきます。
25歳の春、長い旅に出発した日は、果たしてこんな風だったのでしょうか?前日までバタバタしていたのは今回も同じだけど(多分一生)、不安はもっと薄かったような気がします。それはつまるところ、「若かったから」ということなのでしょうか……。

3年ぶりの旅。
昨年、台湾にちょろっと行ったりはしましたが、友人と一緒のお気楽旅行だったので、”旅”というよりも”レジャー”の感じが強かったのです。
でも、今回は、期間は短くとも”旅”のつもり。それの何が違うのかって云われると、別に厳密な境界線なんかないんですけど、「旅行という名詞にまだなにか内容があったろうか。このパンドラの箱のなかには何があったろうか」そんな、ポール・ニザンの言葉を借りるならば、旅とは中身の分からない箱なのであり、そこが、「あれを見て、これを買って、ここに泊まって」という、あらかじめ決められたイベントに則って動くレジャーの旅とは、やっぱりちょっと違うのかなという気がします。

旅先を決めるまでは、相当な逡巡を繰り返しました。
「10日間の休み」という、OLとしてはそこそこ長いけれど旅人としては短すぎる中途半端な休みを、いかに使うべきか?これは、長旅専門(?)のわたしにとっては、けっこうな難題でした。
これが、5日とか1週間であれば、選択肢はおのずと限られてきますが、10日というのは、下手すると「どこでも行けそうな」錯覚を起こさせる日数です(え?そーでもない?)。
「寒いときに極寒の地に行くというのもオツだよな…ということはロシア?東欧?」とか、「『地球の歩き方』リビア編が出てるなんて!これはリビアに行けというアッラーの思し召しか」とか、「実質1週間ならマルタとかキプロスとか、小さな島国で充分かも」…と、考えがあっちこっちに飛んでしまい、なかなか決められませんでした。

そうやって1週間近く悩んだ挙句に選んだのは、スリランカ。
理由は、「もともとスリランカに行こうと思っていたから」…だったら最初っからそうしろよ!って感じですが、とかく優柔不断、かつ強欲な性格なので、ギリギリまで迷いたがるんですよねえ(苦笑)。
昔はセイロンと呼ばれ、海のシルクロードの拠点として栄え、インド洋の”真珠”とも”涙”とも喩えられる小さな島。何だか、それらのコピーだけでもう、”光あふれる南国”のビジュアルが容易にイメージできて、旅心をそそられます。北海道の約8割の面積という小国だけど、”山椒は小粒でもピリリと辛い”そういう感じの国。
あと、昔、旅仲間のたるや夫婦が「スリランカは食べ物が死ぬほど辛い」と云っていたのが、何だかやけに印象に残っています。100カ国以上を旅した彼らが云うのだから、それはそれは本当に辛いのだろうな…と、深く心に刻まれているのです(笑)。

しかし、そうしたジェネラルインフォメーションとは別に、スリランカには、個人的な思い入れ…と云うか思い残しがあります。
前の旅でわたしは、インドを南下しきったのち、トリヴァンドラムからスリランカへ飛ぶ計画を立てていました。ところが、ゴアから急にアラビア半島へと進路変更し、イエメンなどで寄り道しているうちに、金も着々と減り、さらにはスマトラ沖大地震が起きて、「スリランカを旅行する」ということじたいが困難になってしまったのです。
当時、旅行者の間では、インドを南下することすらも不確定要素満載で、「危ないらしい」「いやそうでもないみたいよ」と、憶測が飛び交っており、スリランカについては、「伝染病の恐れがあるから、行かない方がいい」という意見でだいたい共通していました。混乱の真っ只中にあるスリランカで、フツーの顔して観光旅行できるほど、わたしも命知らずではありませんでした。
本当なら、旅していたかも知れない国。インド→アラビア半島という変則的なルートを取らなければ、そのままスリランカまで南下するつもりでした。もしあのとき―なんて、旅には愚問ですが―そのルートを取っていたら、ちょうど地震のときに当たっていた可能性は、かなり高いのです。

そうこうしてやっと決め、航空券も取って、あとは出発に向けて準備するのみというところで、今度はにわかに治安問題が気になり始めました。
以前から、根深い内戦問題を抱えている国ではありましたが、今春は特に、「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」による爆弾テロが、コロンボを中心に、尋常じゃない頻度で起こっていました。
まあ、外務省の最新安全情報では、旅行しそうな地域に関しては問題がなさそうだし、ここしばらくはテロも収まっているのかと思いきや、出発の2日前には、「スリランカ反政府勢力、コロンボ市内の発電所と軍施設を空爆」という、「やめてくれーーー;_;」なニュースが飛び込んできました。
ただでさえ、旅の直前は、(あくまでも軽くですが)死を覚悟するような気持ちになるというのに、今回はマジで命がけ???スリや強盗なら、ある程度気をつけることはできますが、テロに遭わないためにはどうしたらいいのでしょうか?スリランカ在住者のブログなどを読むと、「公共交通機関には乗らないこと」などと書いてありますが…。一瞬だけですが、旅行自体をキャンセルしたい気持ちに駆られました。

………

成田空港行きの電車に乗り込んで、初めてまともに『歩き方 スリランカ』を開きました。
もちろん、行き先を決めてすぐに本は買ったのですけど、昨日まではあまり真剣に読む気がしなかったのです(治安情報だけはネットであれこれ見てたけど)。日本で、仕事をしながら読んでいても、今いち頭に入って来ないと云うか、リアルに像を結ばないんですよね。そもそも、予習とか計画って行為が苦手なので、事のマギワまでは脳みそが情報を受け付けないことになっているんだよ(苦笑)。
何しろ、実働8日間しかないのに、ルートもまともに決めていません。キャンディ、シーギリヤ……超有名観光地に関しては何となく頭に入っているものの、位置関係も把握できていないし、各都市の移動時間も計算していないしで、これが受験前だったら、完全に浪人決定といった感じです。

空港駅からチェックイン、荷物検査、出国、そして搭乗…という一連の流れは、どんどん俗世間から離れていくようで、不思議な緊張感を覚えます。いろんなものが少しずつそぎ落とされて、無防備になってしまうような感覚、とでも云うんでしょうか。そして、この緊張感はいつも、ある種の陶酔感も伴います。

3時間強のフライトの後、香港国際空港でトランジット。
ここがまた、3時間弱と微妙な空き時間で、あわよくば、香港市街地に出てショッピングでもしたいくらいですが、そこまでできるほどの余裕はありません。と云うか、トランジットってそもそも出国は出来ないんだっけ…。
さすがに、旅の最後の場所だけあって、記憶が鮮明すぎるほど鮮明によみがえってきます。このバーガーキングで、残った香港ドルでポテトを食べたなあ。無料のインターネットから、友達に旅の最後のメールを送ったっけな…。意外と、正確な場所まで覚えていたりするもので、何だかくすぐったい気持ちになります。
とりあえず時間つぶしに、充実の免税店をめぐってみるものの、まだ旅も始まっていないのに金を使う気にもなれません。本屋で立ち読みしたり(ナゼか日本語のエロ雑誌が5種類くらい置いてあった…荷物検査でエロ本は引っかかるのに、これはアリなのだろーか???)、化粧品が地上のデパートと比べてどのくらいお得なのかを調べてみたりと他愛もなくウロウロして、それにも飽きたら、やはり他愛もなくノートに独り言を書き綴ったり。「日本語のエロ本の特集が”ハメ歩きin大阪”だった」「赤いベルベットのソファで、中国人らしき男女が臆面もなくぐーすか寝ている」など、どーでもいい内容ばかりなんですが(苦笑)。
目的地までの離陸期間は、何故かやたらと饒舌になってしまいます。きっと、本当に旅が始まったら、余計な独り言をつぶやいているヒマなんてないはずなんですけど。ちょっとモラトリアムっぽいですね(笑)。

やっと乗り継ぎ便に乗ったと思ったら、シンガポールでまたも乗り継ぎ!分かっちゃいたけど、ほんっとにまる1日移動なわけね…。
チャンギ空港も大きな空港ですから、うろついていれば多少は時間が潰れますが、免税関係は香港でさんざん見て周ったばかりで、今いち面白くありません。
しょうがないので、大人しく椅子に腰掛けて、具体的に旅行計画を立てることにしました。遅せーよ!
やはり8日間では、ちょっとでも欲を出すととたんにスケジュールがきつくなりますね…。放っておくと、どんどん詰め込む性格なので、ある程度は絞って、効率よく周らないことにはあっという間に旅が終わってしまいそうです。
最低限外せないものとしては、やっぱりキャンディの仏歯寺、シーギリヤロック、あとはアーユルヴェーダ。この3点を中心に、可能な分だけオプションを増やしていく感じか…。ああ、”決めなきゃいけない計画”って、仕事みたいで何だか重苦しい。

それにしても、搭乗ロビーに行くと、どんどん自分の状況がアウェーになっていくのがモロに分かって、さすがに緊張してきます(笑)。
成田→香港便の搭乗口にいた、ぶらりOL3人旅的な日本人はどこにもおらず、気がつくと周りはみんな、浅黒く彫りの深い面々ばかり。ほとんどがスリランカ人のようで、日本人はおろか、欧米系の旅行者も見かけません……と思ったら、遠くの方から日本語が聞こえてきました。見れば、男2+女1の3人組の日本人。にしても、シンガポールから乗っているというのは、いったいどういうルートの旅路なんだろう…。

飛行機は、予定通り夜10時半にコロンボ国際空港に到着しました。
これまでのわたしなら確実に、宿代をケチって空港で一夜を過ごすところです。実際、空港に着くまではその心積もりでした。で、朝イチのバスだか列車だかで、古都キャンディに向かおうと。
しかし、年を取ったせいか、以前より小金を持っているせいか……多分どちらもなのですが、空港の旅行会社カウンターで、タクシーと宿を手配しました。しかも、その宿とは、老舗中級ホテル「グランドオリエンタルホテル」。明日、朝からキャンディに移動するのであればたった数時間の滞在、にもかかわらず1泊45ドルのホテルに泊まろうとは……いつからわたしはこんなセレブ旅行者になったのでしょうか(汗)。
まあでも、空港には、一夜を明かせるほどのスペースはなく(以前なら、無理やり椅子の上でバックパックを抱いて眠っていたかも知れませんが)、移動にしても、
バスなら100円くらいでコロンボまで行けるものの、さすがに夜の11時を過ぎて見知らぬ土地を動き回るのも怖くなって、金で安全と快適さを買うことにしたのです。
タクシー+宿、多分手数料も込みで7200Rs。トーゼン交渉はしましたが、微妙にしか下がりませんでした。うーん、もしこれが3年前のパッカー時代だったら、とてもじゃないけど払えない金額です。

空港からコロンボまでは、約30キロ。車で4〜50分くらいでしょうか。車窓からの風景は明かりもなく閑散としていて、やたらにアーミーばかりが目につきます。
運転手がフレンドリーに「スリランカには何日いるんだ?」「どこに行くんだい?」と話しかけてくるので、最初はフンフンと答えていたのですが、よくよく聞いてみると、ツーリストカー(個人タクシー)の売り込みでした;
スリランカは公共交通機関が激安なので、それで移動するつもりで計画を練っていましたが、おっさん曰く「車なら1日でどこにでも行ける」ということは、計画段階であきらめていた、北の遺跡や南の町の観光も増やせるということか…?
おっさんの提示価格は1日50ドル。これを安いとするか高いと考えるかは、旅に出たばかりの感覚ではまだ、正確な判断がつきかねます。
日数がタイトな旅行の場合、やはり多少金を出してでも、効率を優先すべきなんだろうか…と、前の旅では考えも及ばなかったことを思い始めます。日本じゃ、1日5000円でハイヤーを雇うことはまず不可能。そう考えると、高い買い物ではないのかしら?でも、安いとも云い切れない金額だし…。
……なんてことを考えていると、久々に駆使する英語ともあいまって、脳がどっと疲弊してしまいました。

ホテルのあるフォート地区まで来ると、車窓風景の閑散具合は、ちょっと不気味なほどでした。
とにかく、まっっったく……人の姿も車両の姿も見当たりません。多分、犬猫すらも。分かりやすすぎるほどゴーストタウンです。
タクシー代はバカ高かったけど、ここを、バックパック背負って1人で歩くのは、昔のわたしでも無理だったかも…。
ホテルの手前で、アーミーがタクシーを留め、運転手のIDとわたしのパスポートを要求します。この時間でも厳戒態勢ということは、やはり、コロンボの治安はよくないのでしょうか…。

グランドオリエンタルホテルは、ロビーの立派さに比べると、部屋は簡素とも云えるつくりでした。
創業が古く伝統のある分、ややくたびれた感じも否めませんが(←たまに金を出すととたんに目線が厳しくなる、典型的な貧乏人)、まあ、広くて清潔なので、長時間のフライト疲れを癒やすには充分です。
シャワーを浴び、軽く洗濯をし終えると、すでに夜の1時半を回っていました。
はああ…バカみたいに長い1日だった。でも、旅はまだ始まったばかり。いやむしろ、始まってもいない、と云えるかも知れません。この部屋を出て、自分の足で街を歩く。きっと旅の本当の始まりはそこからだという気がします。
今はまだ、機上の延長で、安全な場所に保護されている暫定期間のようなもの。明日からは、座っていれば出てくる機内食ではなく、自分で食べ物も確保しなきゃいけません(笑)。
たった昨日までどっぷりOLだった自分が、果たして、バックパッカーに戻れるのだろうか。体は、1人旅の仕方を覚えているだろうか。カレーを食べたら、やっぱりお腹を壊すだろうか…。
やっぱ、ツーリストカーに乗ってラクした方がいいのかな…なんて考えが頭をよぎりつつ、「ま、明日の朝、目が覚めてから決めよう」ということにして、ウトウトと眠りにつきま
した。

COLOMBO001.JPG - 59,709BYTES 記念すべき初夜の宿。

(2008年11月1日 コロンボ)

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